2017年7月 9日

責任をとる

「責任をとる」という言葉は大人になればなるほど使われる言葉だ。
とくに会社や家族などチームのメンバーが多くなればなるほど使われる。
影響力が増すごとに責任の大きさが大きくなるからだ!
 
しかし、
責任のとり方ってなんだろう?
 
政治家の責任の取り方としてよく出てくるのが「辞任」である
しかし、辞めるだけで本当に責任をとっていることになるのか?
武士の時代には切腹をして死をもって、責任を取っていた。
現代社会において、犯罪を起こした場合、最高の償いは「死刑」である。
しかし、今も昔も、死んだからといって、責任を果たしたかどうかも定かではない。
 
以前のサラリーマン時代に、営業で数字が取れなかった時のことだ。
責任の取り方として、「辞職の意」を示したことがある。
その辞表は受理されなかった。
 
そこで、上司に尋ねた。
「どうすれば責任がとれるのですか?」
しばらくして返ってきた答えは
「(取れなかったマイナス分の数字も合算して)来期、その分もとれ!」
 
なるほど・・・
(ただし、この言葉を自分から発言したら怒られる)
 
数字が取れなければとれないほど
数字が累積され、厳しい状況になる。
「政治家はある意味、楽だな~。辞めれば許されるのだから」
と思った。
 
しかし、今でも
問題が起こると、この上司からの言葉がよみがえる。
すなわち
自分が考える責任の取り方は「最後まで諦めない」という事だ。
 
どんな問題が起きても、「辞める」ことではなく
どんな状況においても「続ける」ことが責任の取り方なのだと思う。
 
政治家の人達が、
どんな思考をしていても
どんな暴言を言ってしまっても
どんな不祥事を起こしても
どんなに敵対政党から野次を言われても
どんなに辞任を求められても
自身の理念の追求を最後まで続けなければならないのだと思う。